学力低下について考えてみる

近年、学力低がが問題となっていますが、それを裏付ける調査結果が発表されました。

<学力低下>「悲惨な結果」と専門家 OECD調査毎日新聞

OECDの調査で学力低下が裏付けられたとの事です。記事では特に数学の学力や意欲の低下が問題視されています。まぁ、分数の計算が出来ない大学生が問題となっている昨今ですから、恐らく数学能力の低下は事実なんでしょう。

もっとも、数学が出来ない大学生と言うのは私立文系において顕著に見られる現象だと思うのですが、私立文系では入試で数学が課されない為、高校3年生になると数学を全く勉強しない人も出てくるわけです(僕もそうでしたが)。丸暗記で数学を勉強してきた人の場合、1〜2年数学を全く使わなければ当然その内容は忘れてしまうでしょう。分数の出来ない大学生は、その辺の入試制度と絡めて考える必要があるかもしれません。

また、記事では学力低下の原因として、学校側の問題も取り上げています。いわゆる、教師の質の問題ですね。他の国では教員免許を大学院修士課程卒業以上の学歴を持つものに限定しているところもあるようです。大学院は教育者養成機関ではないのですが、修士の2年間で専門分野に関する知識や理解は飛躍的に深まりますから、学識という点では学部卒よりはいいのかもしれません。ただ、学識=教員としての適性ではないような気もしますけどね。やる気がなければどうしようもないわけで。

その辺、教員のやる気や熱意をどう引き出すかが問題になると思います。まあ、きちんとした教員の評価システムを整えた上で、教員に危機感を持たせつつ仕事をしていただくのが一番いいような気がします。塾の先生の方が信用できるなんて事をよく聞きますが、塾の先生の場合、「学力向上」っていう結果を出さなければクビですからね。その辺の危機感の差*1が、塾の先生と学校の先生とに対する評価の差に現れているんじゃないでしょうか。

ただ、全ての責任を学校の先生に押し付けるのもかわいそうな気もします。やはり、授業時間が足りないんじゃないですか?ゆとり教育の弊害が叫ばれて久しい昨今ですが、ゆとり教育にしろ何にしろ、授業時間が足りないのが問題の現況のような気がします。要するに、週休2日制の弊害ですよね。

一応非常勤で講師をやっている僕の立場から見ると、授業時間が足りないって言うのは授業の質を下げる最大の要因だと思います。教材が悪いとか、カリキュラムが変、とか言うのは授業を工夫すれば何とかできる可能性があります。教材が悪ければ副教材を作ればいいわけですし、カリキュラムが変な場合でも、自分の出来る範囲内でカリキュラムを変更(ないしカリキュラムの無視)を行って、内容のある授業を展開していけばいい訳ですから。

しかし、時間はどんなに工夫しても長くなりません。時間が足りなければ、教える内容を減らすか、説明を省くか、話すスピードを上げるか、無駄話を減らすか、いずれかを選択しなければなりません。「無駄話なんて止めろよ」って思われた方もいらっしゃると思いますが、教師の側から見て明らかに学生がだれてきて集中力がなくなっている場合、うまく「無駄話」をはさむとまた集中力を取り戻してくれることが多いんですよ。そういう意味では無駄話は「無駄」ではないんですよね。

時間が足りないために、授業のスピードアップをすることが僕にもあるんですが、たいていあまりうまくいかないような気がします。内容を減らせば教えられる情報が減りますし、説明を省けば理解度が落ちます。特に、説明を省いて簡略化した場合、「わかる人はわかるけど、わからない人はわからない」という状況に陥りやすく、クラス内で出来る人と出来ない人の差が出てしまいやすくなります。要するに、わからない人をフォローできない*2んですよ、時間がないと。

だから、公立学校の週休二日制って問題だと思いますね。大体、大学は今でも土曜日に授業やっているんですよ。ま、土曜日の授業を取る人はあまりいませんけどね。週休二日制を止めて土曜日に半日、3時間の授業を実施すれば、英・国・数の基礎三教科のコマ数を週1時間増やすことが出来ます。大きいですよ、これは。

授業数が増えれば、先生方もカリキュラムに追われることなくじっくりと授業をすることが出来ます。「ゆとり教育」って、そういうことじゃないんですかね。

*1:僕も非常勤ですから、その辺の危機感はいつも持っています。何せ1年契約ですからね。「来年からは来なくていいよ」なんていわれる可能性がありますし、現に僕の知り合いの先生で解雇された方もいます。

*2:塾などでは、成績別にクラス分けすることによってこの手の問題の発生を防いでいるわけですね。成績別にクラス分けをすれば、そのクラスに合わせた説明をすることにより、教室全ての人に適切な説明をすることが出来ます。その代わり、同じ塾に行っている人でも出来る人と出来ない人の差はつきます。結局、学力の平均化を目指すためには、出来ない人をフォローしている間は出来る人にちょっと待ってもらうという、ある種の時間の余裕がないと難しいと思います。