しっかりしろ
これはお粗末。
18日、福島県相馬市の市立中村第一中学校(堀川利夫校長)の校庭で、陸上自衛隊東北方面航空隊(仙台市)の中型ヘリコプター4機が着陸地点を間違え、計7回にわたって離着陸訓練を繰り返した。約700メートル離れた公園グラウンドで行うはずだったが、操縦士に渡された地図が間違っていたという。
うっかりミスといえばうっかりミスですが、正直これは許されるレベルの問題ではないですね。あ、いや、自衛隊の活動が一般市民の活動に迷惑をかけて許せない!とかそういうことを言いたいわけではないです。まあ、中学校の授業妨害もそれはそれで問題なんですが、もっと重要な問題があると思います。
正直、今回の事件は国を守るべき自衛隊として、その防衛能力を疑われかねないミスです。だからこそ、僕はこの事故が許されるレベルの問題ではないと言いたいのです。
当然、この訓練は演習の一環として行っているわけです。ですから、日本が侵略を受けた際に国土を防衛できるよう隊員を訓練するのが本来の目的であるはずです。災害救助訓練だったのかもしれませんが、それにしたって国民の生命がかかっていることに違いはありません。自衛隊は常に緊急事態に対応するための訓練をしているはずです。
それが、地図の指示を間違えた?!それ、もし実戦や災害救助の場面だったらどうするつもりだったんですか?
僕は自衛隊の活動の意義を認めていますし、いろいろな雑音の中で日々黙々と努力なさっている隊員の方も尊敬しております。正直、自衛隊には期待しているんです。それなのに、こんな弛んだことをされるとがっかりします。ですから今回の事件に対しては、期待と激励の意味を込めてこう言わせていただきます。
「しっかりしろ!」
さよならドコモPHS
ついにこの日がやってきたか・・・。
NTTドコモは17日、国内2位の簡易型携帯電話(PHS)事業から撤退する方針を明らかにした。4月にも新規受け付けを終了する見通し。PHSは95年にサービスが始まり、低料金で音質もよいとして人気を集めたが、携帯電話で値下げ競争が進むにつれ利用者が減少。すでに電力系のアステルグループは各地で撤退や事業譲渡が相次いでおり、ドコモも04年3月期は355億円の営業赤字を計上した。
僕は、約7年前に初めて携帯電話(ピッチですが)を購入したときからずっとドコモのPHSを使っていました。みんなから「ダサい」とか「マイナーだねぇ」とか蔑まれながらも、ずっと使い続けていたんです。
記事にもありますが、PHSって案外優れた点が多かったんですよ。音質もいいですし、何より安かった。さらに、データ通信も、携帯電話が次世代携帯に移行するまではPHSのほうが早かったんです。正直なところ、何故PHSが普及しないのか、僕には理解できなかったです。
しかし、一般にはPHSの利点よりも欠点のほうが目立ってしまったようです。PHSの欠点は、とにかく切れやすいこと。電波が弱いので、すぐ圏外になっちゃうんですよね。基本的に屋内(特にコンクリ建築)で通話できませんし、ちょっと移動しただけで圏外になっちゃったりします。また、市街地以外の場所では使えません。PHSって、基本的に都会向けのシステムなんですよね。地方(農村部とか山間部)に行くとまったく使えなくなります。こういったエリアの狭さも普及しなかった原因だと思います。(ちなみにH"はこの辺割と頑張って改善しているみたいです。使ったことないので分かりませんが)。
まあ、加入者が増えない上に赤字続きでは撤退もやむなしといったところですね。現在の利用者は引き続き使えるそうですが、新規加入が停止されることが決定された以上、もうドコモPHSの新機種は発売されないでしょう。つまり、今の利用者は、今自分が使っている機種を今後ずっと使い続けなければならなくなってしまったわけです。僕の場合、今使っている機種に特に不満はないのですが、かといって今後ずっとこれを使い続けるのはつらいです。だって、カメラもついていないんですよ。やっぱり、カメラつきの携帯欲しいじゃないですか。
よって、ドコモPHSとお別れすることにしました。PHSが好きで、ずっと使い続けてきた僕としては、PHSを手放すのは結構つらいです。しかし、もう先のないサービスを利用し続けても・・・。
さようなら、ドコモPHS。
小論文自動採点システムで僕の文章を採点してもらう
昨日のエントリでご紹介した小論文自動採点システムですが、なんと、そのデモ版がネット上に公開されていました!
これです。
http://coca.rd.dnc.ac.jp/jess/
いくつかの例題と、それに対する解答があらかじめ入力されており、実行ボタンを押すと評価が出ると言う仕組みになっているみたいです。
で、自分で書いた文章も採点してくれるみたいだったので、早速僕の文章を採点してもらうことにしました。
お題はデモのお題をそのまま利用。こんな感じ。
人生において我々はしばしば自分がしたいことと、自分がすべきだと感じることと、どちらを選んだらよいかに悩む場合がある。
自分がすべきだと感じることより自分がしたいことを優先させることがその人にとって良い場合があるとしたら、それはどのような場合だと思うか?あなた自身の経験、あるいはあなたが見聞したことから、その事例を挙げて、あなたの考えを述べなさい。
で、僕が書いた解答ですが、こんな感じです。長いですが全文掲載!(ちょっと恥ずかしいですが)。
自らの前にAとBという二つの選択肢があり、Aが「自分がしたいこと」であると感じ、Bを「自分がすべきである」と感じた場合、Bを選択することがその人にとってよい結果をもたらすと考えるのが普通であろう。なぜなら、「すべきこと」とは、たとえそれが苦痛に満ちた選択であったとしても、「それをすることが本人の利益となる」か、あるいは「自分以外の他者にとって大きな利益をもたらす」事である、ということが暗黙のうちに了解されているからである。だからこそ、我々は「自分がしたいこと」よりも「自分がすべきこと」を優先させるべきであると考えるのである。
しかし、厳密にいえば、「自分がすべきこと」が本人の利益となる保証はどこにもない。先ほどのAとBの選択肢のうち、本当にBが自分の利益となるかどうかはわからないのである。ある選択肢を「自分がすべきだと感じる」のは、その人がこれまでの人生の中で培ってきた価値判断の基準に基づいて判断したものであり、それがその人の成功を保証するとは限らない。
私は以前、こんな経験をしたことがある。かつて私には思いを寄せた女性がいた。私は、「男は女性に頼られるべきであり、また、その女性に最大限の助力をすべきである」と考え、彼女に頼られるべく様々な努力をしてきた。本来、私は女性に依存するタイプの人間であり、出来ることなら女性に甘えていたいと考える人間である。しかし、先ほど述べたような考えから、こうした甘えを極力抑え、彼女に出来るだけ尽くすようにしてきた。
ある日、私は彼女に自らの思いを告げた。「私と付き合って欲しい。私はあなたに頼られるような男になりたい。」。彼女の返事はこうだった。「私ってそんなに頼りない女なの?私はいつも自立した女性になりたいと考えているのに、なぜあなたはそんなことを言うの?」。私の思いはその女性には届かなかった。
私が振られた原因は明白である。私の「女性にはこのように接するべきである」と言う価値判断基準が、少なくとも彼女にとっては不適切なものだったのである。むしろ、私は本来の自分をさらけ出し、「自分がしたいように」彼女に甘えるような姿勢も見せれば、もう少しましな結末が訪れたのかもしれない。
○○をすべきであると、自らに義務を負わせ、万難を排してその義務の達成にまい進する姿は確かに美しい。しかし、その価値判断基準が間違っていた場合、「すべきである」という価値基準に従った行動は、本人だけではなく他者にも不幸をもたらすことがあるのである。
そうであるならば、「自らがすべきであると考える」ことを優先させることは必ずしも道義的、倫理的に優れたものであるとは言えないのではないか。もちろん、明らかに優先すべき事柄を後回しにし、自らが望む道のみを選択することは誉められたことではない。しかし、自らの価値判断を疑い、むしろ自らが本当にしたいと望むことにチャレンジすることも時には必要なのではないか。
その人が本当に信念を持って「自らがしたいことをする」のであれば、それは非難にはあたらないと思われるし、そうすることが本人のためなることもあるのである。
30分くらいかけて書きました(仕事しろよ)。で、早速評価してもらいました。出た評価はこんな感じ。
修辞 2.2 ( 5 )
長すぎる文があります。
句の中の文節の数が多すぎる文があります。
漢字の使用がやや少ないように見受けられます。
埋め込み文が全体の分量に比べて多いように見受けられます。
連用形や接続助詞の句の並びの多い文が、ややあるように見受けられます。
語彙の多様性が不足しています。
長くて難しい語が少ないように見受けられます。
論理 2.0 ( 2 )
内容 2.8 ( 3 )
分量過少による減点 0
最終得点 7.0 ( 10 )
10点満点中、7点でした。論理と内容についてはほぼ満点。まあ、こちとら毎日論文書いている院生ですからね。この辺で減点されたらしゃれになりません。当然の結果と言えるでしょう(ちょっと威張ってみましたよ。えっへん!)。
が。
何でしょう。この修辞の点の低さは!5点中、2.2点ってあんた・・・。
まあ、減点対象になった部分については納得できるところも多いです。特に、語彙が少ないとか、文節が多いなんていうのは僕も普段気にしているところですし。漢字が少ないっていうのも、まあ少なすぎたかなぁって印象ではあります。
しかし、唯一納得できない項目があります。それはこれ。
長くて難しい語が少ないように見受けられます。
難しい言葉をいっぱい使えばいいってもんじゃないと思うんですけれど、どうなんですか?僕は出来るだけわかりやすい文章を書くように心がけているんですが、そういうのってまずいんですかね。まあ、試験だからしょうがないんでしょうかね。
まぁ、僕の文章の評価はともかく、このように評価システムを公にして一般の人にも試せるようにしているっていう点では好感が持てます。きっと、いいシステムになるんじゃないかな、なんて思いました。
はてなツールバー
昨日ははてなダイアリーの編集画面が変わったことについて書きましたが、今日も今まで知らなかったはてなのサービスを見つけたのでご紹介します(と言っても、知っている方のほうが多いのかもしれませんが・・・)。
それは、はてなツールバーというソフト(?)です。
はてなツールバーをインストールすると・・・ * ご自分のアンテナ、ダイアリーへ1クリックで移動できます * 今見ているページをボタンひとつで日記に言及できます。 引用も範囲選択で簡単です。 * マウスの右クリックメニューにも「言及する」メニューが現れ、簡単に日記に引用できます * 今見ているページに言及している日記をボタンひとつで確認できます * 今見ているページをボタンひとつでアンテナに追加できます * 今見ているページを含むアンテナをボタンひとつで確認できます
上記のような便利な機能が使えるようになるそうです。僕はFirefoxを使っているのですが、ちゃんとFirefox用も用意されていて嬉しかったですね。拡張機能の一つとしてはてなツールバーを利用することが出来ます。
さっき入れたばかりなので、まだ全ての機能を理解しているわけではないのですが、かなり便利そうですよ。特に、他サイトから引用して記事を書くことが多い方にとってはかなり便利かも。ボタン一つでそのサイトの記事に言及できる機能がついています。ちなみに、このエントリもその機能を使って書いています。上の引用部分もそうです。ボタン一つで簡単引用。普段なら、1分くらいかかる作業が1秒で出来て楽ちんです。
また、アンテナへの登録も簡単になるみたいです。アンテナは登録が面倒くさいのが難点でしたが、これなら気軽に登録できますね。
しかし、こんな感じでどんどんはてなのサービスへの依存度が高まっていく自分を省みると、なんだか踊らされているような気もしますねぇ(笑。まぁ、楽しく踊らされている分にはいいんですけどね。
小論文自動採点システム
小論文を自動採点するシステムが出来ているようです。
小論文や論述式の試験の採点は結構難しいです。僕も何度か論述式の試験を出題して採点したことがあるのですが、このタイプの試験は受験者が自由に記述することが出来るため、あらかじめ作っておいた採点基準に当てはまらないような答案が次々と出てきてしまいます。出題した側から見ると、「おいおい、何でそんなこと書いているんだよ・・・(汗」なんて思ってしまうのですが、記述式の問題を出題したのは自分自身なわけですから「変なこと書くなよ」なんて文句をいうわけにはいきません。もちろん、まったくのでたらめが書いてあれば容赦なく減点しますが、微妙に出題意図とずれた解答をされてしまったり、まったく予想外の論点から議論を展開されてしまった場合、判断に困ります。また、こうしたケースでなかったとしても、「解答に対してどのような配点をするのか?」ということも結構難しい問題だったりします。
論述式の試験や小論文は、本人の理解度や文章能力などを総合的に判断でき、知識偏重にならないと言う意味ですぐれた試験方法であるのは事実なのですが、一方で、採点を公平に行うことが難しいという欠点もあります。
複数の採点者が採点した場合、よほどきちんとした採点基準を作らない限り、まったく同じ解答をしたとしても異なった評価が下されると思います。というのも、一人の採点者が採点した場合でも、評価がばらけてしまう可能性があるからです。
実際、僕が論述式試験の採点をする場合に最も手間がかかるのは、一つ一つの答案を採点することではなく、採点し終わった答案の評価が偏ったものになっていないかチェックすることです。もちろん、初めに採点基準を作っておくのですが、ほぼ同じような内容を書いているにもかかわらず点数が学生によって微妙に異なってしまうことが時々起こります。まあ、採点基準をきちんと作っていなかったからそういうことが起こるわけで、あまり堂々とこんなことを公にいうのは問題かもしれませんねぇ(恥。しかし、実際問題として、2000字程度の答案を100枚以上採点していると、同じAという内容の記述に対し「まあいいや・・・」と初めのうちは減点しなかったにもかかわらず、後半のほうになって「こんな記述は許せない!減点!」なんて事をしてしまい、最初のほうと最後のほうで違う採点の仕方をしてしまった、なんて事が起こりうるわけです(汗。で、それを修正するための手間が結構かかるんですね。
ま、僕みたいないいかげんな採点をしている人はまれだと思いますが、一人で採点したとしてもこんな風に評価がばらけてしまうことがあるわけで、これが複数の採点者が採点した場合、評価が違ったものになってしまうのは仕方ないことのように思います。しかし、受験生からしてみれば「仕方ない」ではすまないわけで、こうした「客観的」な機械による採点が本当に実用化できるのであれば、非常に素晴らしいことだと思います。
ただ、システムをどう構築していくのかという問題もさることながら、「みんなが納得するような採点基準をどう作っていくのか」という事のほうが難しいような気もしますね。今のところ、
パソコン入力された800〜1600字程度の小論文を、(1)文章の形式(2)論理構成(3)問題文に対応している内容か――の三つの観点から評価し、標準的には、(1)を5点、(2)を2点、(3)を3点の計10点満点で判定する。
と言う感じで採点するようですが、果たしてこの配点は妥当なんでしょうか?また、
「語彙(ごい)の多様性が不足」「議論の接続が不十分」「問題文との関係が希薄」
このあたりが減点対象になるようですが、それぞれ、どれくらい減点するのか。こうした項目間のウェイト付けもきちんとみんなが納得できる形で行わなければ、「なんか、試験結果に納得がいかない・・・」なんて結果になりかねないような気もします。
今のところ、テーマが客観的である、ある程度長い文章であるなどの条件が整っている場合、このシステムはそこそこうまく動いているようですので、うまくいけば実用化するかもしれませんね。